人の心が読める人
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苦労人
苦労した人でないと人の気持ちはわからないということです。
貧しい家庭から天下を治める人になった豊臣秀吉、田中角栄などは
人の心を読む力に長けていました。
今の景気をなんと呼ぶか
トンネル景気(身を任せていたら自然にトンネルからでることができる)
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ほら穴景気(自分で掘らないと抜け出せない)
トンネル景気ではなくほら穴景気である
荀子の言葉より
「治人あるも治法なし」
徳ある人によって治まるものであっても、法令制度によって治まるものはない。
二宮尊徳による人物の見分け方
①性忠実にして才もあり見識ある者、これ上なり
(性格が忠実で能力もあり、ものの考え方のしっかりしている者)
②才は高くないが、忠実で節操ある者はこれ次である
(どちらかと言うと能力はもう一つだが、性格は忠実で節操ある者)
③才はあるが、信頼出来難い者は、監視しながらその才を用いよ。これ三である
④邪心を抱いて観望し、形勢次第でどう変わるかも知れぬ小人は用いてはならぬ
(ものをよこしまにしか見ない。ものひがんでしか見ない。形勢次第でどちらに向くか分からない者)
改革に用いてはならない。
物事を成功に運ぶには
判断力、ものの読み、深い教養および知識および個々の力量に加えて
「自分が立たなかったら、誰が一体天下を救うのか?と言う、
天下・国家に対する使命感がとりも直さず必要である。
そして、正しいと信ずることは、真っ向に打ち立て、決意を持って
命がけで断行し、神にも通じる至誠こそ
素朴な民衆の心の底に潜む、良心を揺り起こすもの
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こういう人材でないと、国・会社を問わず
真に改革ということに当たることは出来ない
大事なことは「己の納得の行く人生を送るべき」ではないか?
人はゴマ化せても己をゴマ化す訳にはいかない。
「天知る 地知る 己知る」
本来、四知の諺で「天知る地知る我知る人知る」が元の言葉、この四つの知を以て四知と言う。
一般的に「誰も知るまいと思っていても、隠し事と云うものはいつか必ず露見するものである」
という意味で用いられるが、その真意には「人が見ている見ていないで己の言行を安易に変えて
はいけない。常に自分が善しと思ったことのみを為すべきだ」という意志が含まれる。
即ち、「露見する可能性があるからやめる」というような消極的な言葉ではない。
群守となった楊震と、それに賄賂を贈ろうとした王密との故事が出典。
尚、後漢書では「地知る」は「神知る」となっている。
人生は攻める以外に勝利はない
古来、防御一辺倒で勝った試しはない。
人生(企業)は、攻め以外にはない。
何故なら「攻め」は
「ここぞ」と思う一点に全力投球が出来るから(主導権が握れる)
一方「守り」は、敵が何処から来るかわからないために
八方に気を配り、八方が手薄となってしまう
更に付け加えて言うなら
「どこから来るか分からない」と考えるだけで精神的不安が生じる。
そのため、あちこちに手当てをする必要を感じ、
どうしても労兵(気持ちの上で疲れた兵隊)
遊兵(間に合わない兵隊)をつくってしまう
そして、「ここぞ!」という決戦場で劣勢となり、受けて立つ側は
どうしても振り回される結果に終わる。
やっぱり人生は守りの上に立っては勝てない
つまり、攻めることの方が、少数の力以って
多数を脅かすことができるのである。
己の人生に計画を立てて
それを一歩一歩攻めて行く以外に道はない
一度守りに立ったら
「己の計画」など空中分解してしまうもの